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バックパッカーの旅Ⅰ(東京~アテネ)

バックパッカーの旅Ⅰ(東京~アテネ)

もうひとつの青春

  僕こと”東川義彦”と私が、世界の放浪の旅に出たいと考えるようにな

ったのは、大学も終わりのことでした。

とは言っても、我々はようやく旅に慣れてきたところで、異国を自分達だけ

で放浪するなどと言う事は夢の又夢のようでした。

しかし、その夢は解き放たれることなくジッと我々の胸の内に温め続けてき

たのです。

そしてその実現は、思いがけなくある日突然やってきたのです。



その頃、我々は社会人となり一年が過ぎようとしていただけで、僅

かな資金も調達出来そうもないしがないサラリーマンでした。

別に・・・仕事に嫌気がさしていたわけでもなく、人生に疲れを感じていた

訳でもありませんでした。

もちろん、失恋などと言うくだらないものの為でもなかったのです。



それは学校帰りの子供達がカバンを家に置く事もなく、闇が訪れて

いる事にも気づかず道草をしてしまう、そんなようなものだったのかも知れ

ません。


「何とか、若いうちに異国をこの目で見てみたい!老人のような旅だけ

はしたくない。」そう思うと矢も立ても溜まらず、またどちらが言うともな

く辞表を出していたのです。

不況風が吹き荒れ、もうすぐ暑い夏が始まろうとしていたそんな時でした。



もちろん、一年間しか働いていませんでしたから退職金もなく、借

りるあてもありませんでした。

お金と言えば、給料を貰ったばかりという僅かばかりの生活費があるだけ

で、旅の資金を考える余裕も無かったのです。



「退職金も無いぞ!下宿を維持する金も、生活を保障する

も・・・・これっぽっち・・・・、どうするんだ!」


「・・・・・・・・・・・・・。」


「こんなに簡単に・・・勝手に決めちゃって良いものかな。

お前はもう旅に出たような気分になってるけど・・・・誰にも相談しなくて

良いのか?せめて目途だけでも経てるべきじゃ無いのか!?」



そんな奴の疑問にいつも「何とかなるさ!」と答えていたもので

す。


しかし、僕にさしあたってうまい策があったわけではありませんでし

た。

奴の疑問も当然の事だったのですから。事実それから一ヶ月、何も手がつけ

られない日が続いたのですから・・・・・・・。


自分の心に迷いが生じた時、僕のあてになることと言えば”窮鼠かえっ

て猫を噛む”ということわざだけでした。

つまり、八方塞がれてしまえば、いつも逃げ回っていた弱いネズミでさえ猫

に向かっていくと言うことです。

もしこのとき、自分のどこかに逃げ道を作っていたとしたらどうでしょう。


・・・・・・僕は必ず、そこへ逃げ込んでいただろうと思うのです。



それから一年間というもの、慣れない仕事に精一杯取り組んでいま

した。

自分でも不思議なくらい事は順調に進んでいました。奴には一年の辛抱だ!

なんて言っておいたものの・・・自分では二三年かかるつもりでいたので

す。


ところが気がついてみると、生活を維持しながら何と一年で本来の目標

以上のものを手に入れていたのです。

それは旅の資金であり、今まで知らなかった世界であり、新しい友達だった

のです。

まさに「窮鼠かえって猫を噛む」の諺を我々が実践したのです。



そんな調子でしたから、今度の辞職は前の会社と違ってちょっとば

かり骨が折れたものです。

というのも入社して一年、ある小さな事務所で所長を助けながら数人の部下

を抱えていたのです。

事実上その事務所の責任者の地位を手にしていた訳でした。僕にとってこれ

こそが夢の又夢だったのです。

つまり僕の肩にはいつの間にか、大きな会社への責任と義務が圧し掛かり、

大きな収入が約束されていたのです。



友達は-そんな収入と地位を捨てまで-と言い。

世話になった部長は「バカ野郎1何を考えてるんだお前は!今のお前は入社

した時のお前とは違うんだぞ!部下もあり、会社に対する責任

も・・・・・・どうするんだ!」と言います。


そうなんです。こればっかりは本当に困ってしまいました。


しかし、部長の次の言葉で目を覚まされたのです。


「なぁ!ヨーロッパなんていつでも行けるじゃないか!金さえあれば、

ヨーロッパどころか世界一周だって出来るんだぞ!」


「・・・・・・・・。」


「世の中そんなに甘くないぞ!今辞めてどうするんだ!」



そうなんです。

「いつでも行ける!」実にこんないい加減な言葉は無いのです。


僕らはいつもこんな都合の良い言葉に騙されてきたのですから。

”いつでも行ける!”という事は、つまり”いつでも行けなくなる!”と言

う事とイコールで結ばれていると言う事実でした。

そしてもっと重大なことは、若いうちに可能な経験でした。



震えながら、途切れ途切れに出ていた優しい上司の怒りともつかな

い言葉は、我々の意志の固いことを知ると・・・・・もう何も言わなくなり

ました。

そして、彼が我々を前にして沈黙した時、僕達の彷徨いの旅が始まったと言

って良いのでしょう。

実に前の会社を辞めて12ヶ月と24日目の事でした。

そして初めて、友にも家族にも我々に旅立つ決心の固いことを・・・・・こ

の7月25日(1976年)に東京を発つ事を告げたのです。



暑い夏の始まった・・・・・これから暑い夏を迎えようとする6月

29日の事でした。



これほど恐ろしく順調に事が進んだのがなぜなのか・・・・今でも

不思議な事なのです。

もちろん前の会社を辞めてからの一年と言い、新しい会社での慣れない営業

と言う仕事に苦悩した事は事実です。


夏の暑い日汗を拭きながら外を歩き回った時、凍るような雪の降る夜成

績が上がらず惨めな思いで歩いた時、眠い目をこすりながら眠ってはいけな

いと寒風吹きすさぶ川原に出て身震いした事。


それよりも、自分の甘さでなかなか事務所の収益が伸びなかった事。

そんな数えきれない苦しみが圧し掛かってきたことも事実です。

それでもここまでやってこれたのは、今思い返してみると旅への執念だった

のでしょうか。

素晴らしい友達がいた事も救いだったのでしょう。



僕達をこれほど夢中にさせてくれたものは一体なんだったのでしょ

うか。

そう考えると僕達は、実に恐ろしいほど何かに取り付かれていたとしか言い

ようが無いのです。

僕達に余裕があったとしたらどだったでしょうか?たぶん僕たちは逃げ出し

ていたかも知れません。

この計画の挫折は明白な事実として、いつまでも僕達の頭の中に残った事で

しょう。


ひょっとしてこれは”怪我の功名”と言う奴だったのかも知れません。

なぜなら、僕達にこれほど完璧な計画を企てる事など不可能なことなのです

から。



それでもとにかく我々のこの計画は、この日実行へと一歩を踏み出

したのです。

色々な制約の元に敷かれていた我々の人生のレールを踏み外し・・・・・今

や、レールのない大海原へと走り始めたのです。


それは永久に戻ってこない旅になるかも知れません。幸運であればいつ

の日か帰ってくるのでしょう。



地球を脱出した宇宙飛行士が、再び地球に戻ってくるように!しか

し僕達の頭の中には、あの宇宙飛行士が見たと同じ”青い青い地球”が、い

つまでも残る事でしょう。

そう!紛れも無い事実として。



2005-10-22 11:32:14





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